2025年7月8日(火)
【ATOM-TOKYO-】美波 駿佑 異色の経歴を持つ男が、ホストという職業にどんな“本質”を見出したのか――今、その答えが明かされる。

ーまずは、たくさんのキャリアをお持ちだと思いますので一つずつ伺ってもよろしいでしょうか?
もちろんです!まずは、最初にジュノンボーイになったとこからですね。
20歳前後の時に美容専門学校に入ったんです。美容師になろうと思って。その後、普通に就活もして内定をいただいていました。そんな時に、学校の先生が僕をジュノンボーイに応募してたんですよ(笑)
もちろん最初は断りました。美容師になるからって言ったんです。でも先生に「ジュノンで少しでも良い結果が出れば美容師になってからもお客さんが付きやすいかもよ」と説得されて、結局親友と一緒に、を条件に応募したんです。
ー学校で一番のイケメンが親友同士ってマンガみたいですね、、、
で、2人そろって審査が通ってしまったんですよ!! 2万人中の2000人に残った感じです。
第二審査で親友は落ちてしまったんですけど、僕が残りまして。その後、2000人から100人に絞られる審査も通過しました。どんどん審査が進んでいってベスト15に入ったって感じですね。

ー確かに、顔もスタイルもピカイチですもんね。その後進路はどうなったんですか?!
美容院の内定先に就職しましたよ。でもその頃にはありがたいことにSNSやテレビを通してのファンや応援してくれ方がいて、俳優やってほしいとか、芸能界入ってほしいって言う声をたくさんいただいて、結局美容院を2週間で速攻辞めて芸能界に入りました。
ドラマ、CM、ポスター、看板、ランウェイモデル、いろいろ経験させてもらいました。
芸能活動を始めて3年が経った頃に、コロナが流行り出して仕事が減ったんです。で、疫病に弱い仕事はどうかなと思って芸能界から引退しました。
ーそんなにあっさり辞めちゃったんですね?! それからホストになったのでしょうか?
いえ、スワロフスキーのデザイナーになりました(笑) それも本当にたまたまのご縁だったんですけど。
銀座に、芸能人の卵みたいな人たちが働くカフェがありまして、僕もそこでバイトしてたんです。
ある日、全身黒タキシードに赤い薔薇を胸のところに一輪刺した集団がいきなり来まして。
みんな怖いから接客したがらないじゃないですか。で、僕がそこの名物のカフェオレを高いとこから入れるパフォーマンスをやったんですよ。
すごく喜んでくださって、帰り際に一人の方から名刺を渡されました! そこにスワロフスキー◯◯代目党首って書かれてたんですよ。「君のパフォーマンス力に惹かれたから、一度僕の会社見に来て」って言われました。
ーめちゃくちゃ大手のジュエリーショップですよね!? 直々オファーなんてあるんですね。

ーそれなのに、スワロフスキーも退職されたんですか?!
ずっと経営者になりたかったんです。だからそのために働いてお金を貯めていたんです。
飲食店の会社を友達3人で立ち上げました。創作和食料理、バナナジュース専門店を2店舗。やっと軌道に乗ってここからだなって言うタイミングで信用していた役員が僕の資本金を持ち逃げしまして(笑)
ショッキングすぎて、残った会社ももう一人の仲間にあげて、途方にくれていたんです。
で、本当にあてもなく渋谷をブラブラ歩いていたら、ホストのプロデューサーの方にこれまたご縁でスカウトされたんです!
ー濃すぎる人生ですね?! 逆にそれでホストやろうって気持ちになれたんですか?
自暴自棄になっていて、どうでもいいと思っていたので。でもどうせやるなら本気になりたいと思って某店に未経験で入ったんです。初月から大きな成果を残し、注目される存在となりました。それから10ヶ月くらい働いた時に、僕がこの業界に入ってから尊敬してる方に「おまえちょっと大阪どう?」と声をかけていただいたので、大阪にチャレンジしました。
ーその大阪でまたとてつもない記録が出るわけですね。
以前は発展途中の店舗に在籍していましたが、その中でも自分なりに結果を出すことができました。
もっと大きな舞台でチャレンジしたいという想いから、「アトムグループ」へ移籍しました。
初年度から大きな手応えを感じることができ、環境が変わることで成長スピードも加速しました。
ーそれがアトムグループの始まりだったんですね!! それで再び歌舞伎町に戻って来られたんですか!!
グループの会長や社長、今店舗を運営してる冬夜から直談判じゃないですけど、歌舞伎に来てお店の運営を任せたいやって欲しいって言われた感じですね。
正直もうこのグループでは、俺にホストを教えられる人はいないと思っていました。だからホスト自体辞めるのもありだなと思っていました。
プレイヤーするなら他のグループに移籍も考えていました。
ーたしかに、たくさんの可能性と選択肢があったと思いますがなぜ、決意できましたか?
自己成長できるチャンスだなと思ったからです。
まだ仲間のマネジメント等をしたことがなかったから、自分の人生を飛躍させるためにも挑戦しようかなと思いました。そこで手に入れた力って、この業界以外でも役に立つスキルだと思うので、十分に価値があるなと感じています。
ーお店の運営を任せられた後の目標はありますか?
1年後に拡大移転です。どうせやるならでかい目標があった方がいいですよね。今のこの店舗はここに構え始めて10年くらい経つんですよ。内装とか規模感とか、もっとすごいことにしたいですね。お客様にも、従業員にもこの店に関わってて良かったと、思ってもらえたら嬉しいです。

ーお店のレベルの底上げなどはいかがでしょうか?
自分が見てる店の子達が楽しくイキイキと働いてくれたらそれでいいです。他のお店と比べてもキリがないじゃないですか。僕ができることは、従業員が安心して働けて、お客様たちが胸張って通えるお店にするために、知名度を上げることくらいかなと思っています。
ーATOM-TOKYO-に異動されて間もないですが、指導は始めていますか?
最初は運営に集中したいからホストあがろうかなと思っていましたが、ホスト続けながらの方が現場での指導ができるから良かったなと思っています。
このお店の従業員は叩き上げの子が多いのでまだ引き出しが少ないんです。
逆に言えば、未経験の子が働きやすいお店でもあると思うんです。もちろん移籍者も、僕のレベルまでの接客方法であれば直接教えることができます。

ーちなみに美波さんの強みってなんですか?
チャンスが来た時に掴み取る能力ですね。それは3年間で培った自信がありますね。慌てずにその時をじっくり待つんです。月々の上振れ下振れの話じゃなくて、人生を長い旅だと考えた時に、いつかなんとかなるって気持ちでやってます。
相手の子としっかりと向き合って、アンテナ立てて、目標をちゃんと伝えて応援してもらっています。
最初は、先輩ホストの真似をしていました。それから、その人の一番近くにいて、たくさんのことを吸収しました。自分の納得できないときは自問自答を繰り返して、自分なりの答えを出しながらやっていってます。
ーご自身が店の運営に携わってからのご自身のパワーバランスはどうですか?
自己成長とこの店の繁栄に全集中しています。ゆくゆくはひろむん社長の座に就けたらいいなと思っています。その頃には、他の店舗のビジネスとかもして、昔から夢だった経営者にもなりたいです。そしたら都内に一軒家を土地ごと買って、男の夢が詰まった家を建てたりしたいですね。30歳になる前にはやりたいですね。
ー夢も目標も本当にでかいですね・・・まずは従業員の強化からと言ったとこでしょうか!
そうですね!! 僕が2ヶ月後には運営中心の動きになるので、僕の今掲げている目標の船に乗ってくれる仲間を探してる感じですね。すでに成功してる店ではなくて、これから成功していく店での経験がしたいって言う人を大募集しています。汗水流して登った山頂の方が、ヘリコプターで連れてってもらう山頂より絶対綺麗な景色が見えると思います。そしてこの苦労を共に乗り越えた人生って最強になれると思うし、その時の仲間はかけがえのないものになると思います。ホストをもし辞めても生涯繋がっていられる仲間って最高じゃないですか。
そういうのが好きなやつらと、一緒にこの店を大きくしていきます!

ジュノンボーイから始まったキャリアは、美容師、芸能界、ジュエリーデザイン、飲食店経営、そしてホストへと続いた。
波乱万丈な道のりの中で彼が得たのは、スキルや実績ではなく、「人を思う力」と「何度でも挑戦する心」。
現在はATOM-TOKYOでホスト兼運営として活躍しながら、仲間とともにお店の未来をつくっている。
どれだけ経験を積んでも、現場に立ち、学び続ける姿勢を忘れない。
その背中が、これからのホストたちにとって希望となっていくに違いない。
「ATOM-TOKYO-」店舗情報 ▼
所在地:東京都新宿区歌舞伎町2-24-3 新宿興和ビル1A
営業時間:20時00分 ~ 24時00分
お問い合わせ:03-6233-7155